少し前に、日本に住む実家の父と少し距離を置くことにしたことをブログに書きました。
今日は父のその後について書いてみたいと思います。
目次:
距離を置こうという一言は、やはりこたえたよう
ここ数年、父の我儘だと思われる行動や言動に母と私が振り回されていることは上の記事でも書きました。
自分に出来ることはほとんどやりつくし、それでも家族に心配をかけ続けるような行動を続ける父に、遠く離れていても毎回声を聴くと心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚に。
しばらく収まっていたパニック障害の症状がまた出るようになって来たこともあり、自分の正直な気持ちを話し、父と少し距離を置きたいと伝えました
それから父とはスカイプも電話もしていませんでした。
また孫である私の娘とも話をさせませんでした。
自分の体調のことも勿論だけど、このまま行ったら父はいつかそのまま外で倒れて死んでしまうんではないかと思い、距離を置くのはある意味、父が変わってくれるきっかけになるんではないか?と真剣に思ったからです。
距離をおくと伝えてからも、実は何度も電話がありました。
でも心を鬼にして電話には絶対出ませんでした。
母とは連絡を取り合っていたのですが、相当落ち込んで毎日ため息ばかりついていると聞き本当に心が痛みました。
変わり始めた父
1週間はずっとそんな感じだったようですが、2週間目のある日、自分で予約を取ってMRTを撮りに行ってきたそうです。
それまでは何回言っても行くのを拒否していたのに…。
母も付き添って行き、MRIの検査の結果は問題なしだったようです。
また父は病院にも行き、日常的に眩暈がして足元がふらふらすることを相談。
「耳の検査を受けてみましょう」という勧めを受け、耳の専門医の元も訪れました。
私は詳しくは分からないのですが、検査の結果、耳の中に石が出来ていると言われ、それが眩暈の原因かもしれないと分かったので、その数日後に取り除くことになりました。
その後は眩暈も毎日ではなく1週間に1回ほど、立ち上がった時にふらっとするだけになったようです。
お酒を飲むのはやめられない、でも時間を考えるように
父の退院後、母が「夜にお酒を外に飲みに行くのは、(今回のように、また道で倒れて病院から急に呼びだされると思って)毎回不安な気持ちになるからやめて欲しい」と、父に訴えたようです。
父はこのことについても、今回は真剣に考えたようでした。
その結果、「友人とお酒を飲みにいって話すのは唯一の楽しみで、それがなくなったらもう自分には何も楽しみはない」と母に伝えたようです。
でもすでに4回も飲みに行った帰り道で倒れて救急車で運ばれている父…。
「冬だったら本当に死んでもおかしくなかったよ!」と入院した時に先生にきつく怒られたこともあり、「明るいうちに出掛けて、7時までには切り上げて家に帰ることにする。毎回行先は告げるし、店を出て帰る時に電話をする」と決まりを作ったようです。
これで母はただ漠然と不安に待つことはなくなるので、納得したようです。
また飲み過ぎないことも約束し、いつも出掛ける飲み友達には母が事情を話し、様子がおかしい時は家に電話してもらうことにしました。
小さなことから、少しずつ前進
耳の石を取ってから眩暈が大分収まったこともあり、母が付き合って毎日2kmほど家の近くを散歩しているそうです。
「途中にあるベンチで何回も休憩するから、付き合う方が疲れちゃって」と母は愚痴っぽく言うけど何だか嬉しそう。
どれくらい続くかは分からないけど、私も嬉しかった。
この3週間ちょっとの間に父も問題と真剣に向き合い、考えてくれたようです。
それだけも大きな前進。
私にはまだ分からないけど、老いを受け入れるのは、父にとっても辛いことだと思います。
実は来週父の誕生日があります。また父の日ももうすぐですね。
父は今年で70歳。
母からは「一切連絡を絶つなんて言わないで、お父さんも自分なりに頑張っているから、誕生日にはせめてM(娘)からおめでとうと言わせてあげてくれない?」と言われており、私もそうする予定です。
少し甘いかな…とも思う気持ちもあるけど、記念すべき70歳の誕生日なので、私も電話をかけ、今まで頑張っていることを褒めてあげたいと思っています。