私の旅した:子連れ海外旅行ガイド

娘と一緒に旅し経験した、子連れ海外旅行ガイド

海外在住、日本に残してきた両親への思い

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※重い内容なので、苦手な方は読まずにそっとページを閉じて下さい。

 

今日は13年前、メルボルンに移住した記念日でした。

 

当時、私達は28歳。

仕事も家も決まっていないまま、片道の航空券とトランク2つを持ってオーストラリアへやって来ました。

 

この13年間の間には大変なこともあったけど、今ではオーストラリアの生活に慣れ、娘と3人で幸せに暮らしています。

 

ただ、40代に入って最近よく考えるのは、日本に残してきた両親のこと

 

実家の両親は共に70代前半。

 

父は65歳で退職してからはほとんど家から出ず、母とふたりで少しでも運動するように何年も言い続けたし、家でも出来る運動器具も沢山買って送ったけど、結局続くことはなく、ここ2年程で急速に歩けなくなり、今では1人でトイレに行くのもやっとと言う感じになってしまいました。

 

祖母を自宅で介護した日々

 

私が高校2年生から大学1年生までの約3年間、重度の痴呆症(家族のことは誰も分からない)の祖母を、母が自宅で介護していました。

 

介護をするうえで、面倒を見る相手が「歩けること」と「自分でトイレにいけること」は物凄く重要で、鍵をあけて外に出ていってしまい、夜中に探し回ることになったり、ご飯を食べたことを忘れて、「ご飯を食べさせてもらえない!誰か助けてー!」と大騒ぎされたことも何度もあったけど、それでも預ける介護施設が見つかるまで家で見ることが出来たのは、おばあちゃんが自分で歩いてトイレに行けたことで、身体的な負担が比較的軽かったからだと今でも思っています。

 

私も週に3回程おばあちゃんをお風呂に入れていましたが、足を滑らせないように見ていることと、入っている間お風呂の外で待っていて、時々声をかけ、着替えを手伝う程度だったので、それ程大変ではありませんでした。

 

父は心臓病があるため、毎日利尿剤を飲んでいるのですが、薬を飲んだ直後は30分おきにトイレに行かなければならず、歩けなくなったことにより、トイレが間に合わないことが最近増えて来ました。

 

母はやんわりと「利尿剤を飲んだ直後だけでも、おむつ(または高齢者用の失禁パンツ)を付けたらどうかしら?」と父に話したのですが、「そんなものは必要ない!」と頑として受け入れて貰えず。

 

トイレに間に合わなかった時の片付けは母がしており、高齢者向けのジムに通って身体を鍛えている母ですが、負担になっていることは確かなはず。

 

また、軽度の痴呆症のような症状も出ており、調子が悪い日はテレビの録画が出来なかったり、本当にひどい日は数時間前に何を食べたのかも分からないことも…。

 

現状でも母は大変なのに、私が海外に住んでいる今、これ以上父の状態が大変になったらどうなるんだろう?

自分はいったいどうすることが正しいのだろう?

 

母に父の話を聞くたび、考え込んで悩んでしまい、そばにいて母を助けてあげられない自分を世界で一番親不孝だと思ってしまいます。

 

突発性正常圧水頭症の手術を受ける

 

1年程前でしょうか。

「これほど急激に歩けなくなるのは、絶対におかしい」と思い、かかりつけの医師とも相談し、父を検査入院させて、歩けなくなった原因を徹底的に調べて貰いました。

 

検査の結果、当初疑われていたパーキンソン病ではないことが分かったのですが、突然歩けなくなった原因は結局最後まで分かりませんでした。

 

ただ今年に入り、別の医師に父を診てもらうと、「症状からして、突発性正常圧水頭症ではないかと思います」「検査入院で確認することが出来ますよ。(突発性正常圧水頭症なら)手術をすれば、歩行は改善されると思います」と言われたそうなんです。

 

高齢なんだし、少しずつ以前のように歩けなくなることは自然なことだと思う。

 

でも、少しでも改善したら母の負担が減ると思うし、父だって好きなことが出来るようになるかもしれない。

 

嫌がる父を2ヶ月間に渡って説得し、何とか今月のはじめに検査入院させました。

 

心臓病の関係で血をサラサラにする薬を飲んでおり、他の人よりも長めの1週間の入院。

 

入院後の歩行テストでは24秒かかっていたのが、髄液タップテスト後は同じ距離を13秒で歩けると言った感じで改善が見られ、先生とも話し合い、今月末から入院。

来月の始めに手術することになりました。

 

手術自体は1時間程の簡単なものなのですが、実家の父は手術を断固として拒否。

 

「絶対にやらない!」と言い張っていましたが、私が「じゃあ、お母さんひとりではお父さんの介護が大変だから、離婚して日本に帰ります。M(孫)にはもう会えないと思って下さい」と言うと、数日考えて、最終的には手術を受けることに決めてくれたようです。

 

何も出来ないけど…手術の無事をオーストラリアから祈る

 

父は、東京でも突発性正常圧水頭症の手術を多くしていることで有名な病院で手術を受けます。

 

公共の乗り物で移動することは出来ないので、タクシーを事前に手配し移動。

病院が実家から車で20分程と近いので、本当に良かった。

 

日本に住んでいたら、旦那さんが運転して父を病院に連れて行くことも出来ただろうな…。

そう考えると申し訳ない気持ちでいっぱいになるけど、まずは自分に出来ることをすることに決めました。

 

入院に必要なものは、母と相談して私がオンライン通販でまとめて注文。

 

入院することが決まってからは、数日おきに実家に電話して不安な気持ちでいる父を励まし、娘(孫)の顔もスカイプで普段より多く見せています。

 

父は飲んでいる心臓病の薬の関係で他の人よりも長く、3週間程入院する予定。

 

しばらく美味しいご飯は食べられないだろうから、父の好物をネットで注文し、入院前日に自宅に配達してもらうことにしました。

 

 あとは入院する日に備えるだけです。

 

まとめ

 

今日もスカイプをしたのですが、会話を終える間際になって、「R(私)、何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくるんだぞ」と父が言うんです。

 

父は自分で歩くことすらもままならないのに…。

 

私は大人になって随分経つけど、父の中ではずっと守るべき「娘」に変わりはないんでしょうね。

 

何だか今日はこの一言が無性に心に残って、こんな記事を書いてしまいました。

 

親が年々年をとって行く姿を見るのは、本当に辛く悲しいものですね。

 

日本に住む両親をそばで助けてあげたい、でも自分の愛する家族とも離れたくない。

何度考えても、正しい答えは見つからないまま…。

 

親不孝だと思うけど、今は自分が出来るだけのことをして、遠くからでも実家の両親を助けて行きたいと思っています。

 

いつか本当に手助けが必要になったら、その時は必ず日本に帰ろうと思っています。